『1998年の宇多田ヒカル』(宇野維正, 2016年)から当時の音楽シーンを振り返り、タイプ別の生き方を学ぶ


久々に本屋で爆買い(4冊だけだけどw)してしまいました。その中の一つがこれ。

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)


もうタイトル見ただけで『読んでみたい!』てなっちゃいます。というのも、以下の条件が揃っているため

  • デビュー当時から椎名林檎ファン(アルバム全買い、ライブには行ってない!行きたい!)
  • 宇多田ヒカルは、同い年なので何か親近感ある(クラスに似てる子も居たし)
  • aikoは特に思い入れないけど、青春時代には流れていたので愛着はある
  • 浜崎あゆみは、全く興味なかったけど、上記3人と併記されるなら興味ある


あと、昨日整理したキュレーションサイトの中で、ちょうど記事も出ていたので目につきました。
www.cinra.net



では、気になる部分だけレビューです。

・・・ピックアップした部分の目次・・・

はじめに

p7

本書は、宇多田ヒカル椎名林檎aiko浜崎あゆみ、そして彼女たちがデビューした1998年という「特別な年」についての本です。
この四人について、「名前も知らない」という日本人はほとんどいないでしょう。

このあとには、この四人が現在どういった動きをしているか、あまり知られていない内容が続きます。さらに、この本を書こうと思った理由も続きます。

この本を書きたいと思った理由は三つあります。
一つは、1998年という年が、この先、未来永劫に塗り替えられることがない日本の音楽至上最高のCD売り上げを記録した年だということ。
(中略)

二つめは、(中略)2000年においても、2005年においても、そして現在においても、グループ/バンド/ソロを問わず、性別を問わず、日本の音楽シーンにおけるトップ3の才能だと自分が考えている音楽家が、すべて同じ1998年にデビューしたからです。
(中略)

最後の理由は、「1998年」について、そして「宇多田ヒカル椎名林檎aikoの三人」について、もし何らかのホンダ書かれているとしたら、自分はそれを書くのに相応しい場所にいた/いるのではないかというジブが少なからずあるからです。

こうゆう明確な理由を最初に書いてくれると読み手も読みやすいですよね。一つめは知らなかったし、二つめは「この三人がそれほどまでに日本の音楽シーンに影響を与えてたの?」と疑いたくなるし、最後の理由は著者さんの自負なので受け入れるしかないし。でも、このあたりは、本書を読み進めればすっきり腹落ちすることになります。よくできた構成ですね。


p19

「CDの時代」はもう終わりました。でも、「彼女たちの時代」はまだ続いています。

これって、今の20歳前半の世代には全くピンとこない言葉かもしれません。が、「CDの時代」全盛期を青春の中で過ごした私はなんとなくわかります。確かに時代は変わりましたが、この三人(四人)はいまだに現役に近いところにいますよね。

このあとは、ちょっと昔話が入ってきて少しわかりにくくなりました。なぜなら、1982年のヒットソングを振り返り出すからです。1982年はまだ生まれていないのでわかりませんが、親の世代や懐かしのヒットソング的な番組で流れている曲ばかりです。次に1998年は、青春ど真ん中のロックやらJポップやら。2014年は、AKBかジャニーズかEXILE系ばかりで、もうなんだか同じ顔ぶれすぎて面白くないランキングですね。

1998年に本当は何が起こっていたのか?

同性に支持を得られるか

p42

ところで、「アイドル」と「アーティスト」を分かつものとは何だろうか。
(注釈)それは、「同性から支持を得られるかどうか」がほぼすべてである。

なるほど、これはわかりやすい。アイドルってのは、例えばジャニーズなんかは女性ファンばかりで男性ファンがいたらそれはちょっと気持ち悪い。そして、そういったアイドル的な地ならしをしたのが、アイドル再生工場とこの本の中では揶揄されている小室哲哉だそうです。確かに言われてみれば、ちょっとパッとしないけど素質はあるのかもしれない女性を曲調やダンサブルに仕上げて、アイドルっぽく変換しているようにも思います。(安室ちゃんを除いて)

自社の商品(コピーコントロールCD)が、自社の商品(オーディオ機器)を否定する愚策

p59

今から思えば、日本人の「CD信仰」に最初にケチがついたのが、このコピーコントロールCDの登場だった。

もうこれ鮮明に覚えてますね。まさにCDで音楽が聴けるという生活が定着した時代に、おそらくインターネット経由でのファイル共有ソフトも流行りだして、これによる著作権侵害を防止しようと始まったのがきっかけだったと当時は認識しています。


こんなラベルがCDに貼ってあって、普通のオーディオ機器でも聞けない場合があった!

音楽を純粋に楽しみたい人々にとっては、なんとも極悪な仕打ちだったことか。誰のせいかはしらないけれど、好きなアーティストのCDがコピーコントロールになった途端、ファンになるのを辞めた人もいた気がします。幸い、椎名林檎さんはコピーコントロールCD出さなかったので、ファンを続けられました。

1998年の宇多田ヒカル

Automatic/time will tell

Automatic/time will tell

宇多田ヒカルと言えば、そらもうオートマチックでしょ。

タイアップ万能時代の終わり

p85

(1999年)当時、この番組「宇多田ヒカルのトレビアン、ボヘミアン」は宇多田ヒカルの肉声が聴ける唯一のメディアとして人気を博し、〜

うまいこと、メディア露出戦略を練っていたようです。練っていたというより、自分がそうしたいからそうしていたというのが正しいかも。

12センチシングル移行へのきっかけを作った

p94

宇多田ヒカルの「Automatic/time will tell」の最高位は、8センチシングルが4位、12センチシングルが2位。
(中略)
この意外な結果は、各レコード会社が12センチシングルにシフトする決定的なきっかけとなった。

そう言えば、8センチシングルってなんのために存在したのでしょう?そっちが気になってきました。


p93

80年代中盤、CDが普及する前後の時代には、12センチのよりも8センチの方が単純に資材面でコストが安く済んだ(それが日本で1988年に8センチシングルが「開発」された最大の理由だった)

なるほど、単純でしたね。その後は12センチシングルでもコスト的に同じになったので、8センチシングルが淘汰されたとのことです。このあたり、ちょっと経済学っぽくて好きです。しかも、宇多田ヒカルによって、ちょっとだけ購入コストが高いにもかかわらず12センチシングルの方が売れてしまったということは、市場原理の逆転現象も観察できます。つまり、当時のCD購入者は単純にやすいから買うということではなく、ジャケットのクオリティ、自宅の棚へのディスプレイ方法まで想定し始めたということになりますかね。



ニューヨーク生まれ、スタジオ育ち

p106

「スタジオ」は故郷であり、家であり、自身のアイデンティティを保つための原風景のような場所だった。

p116

「ジャンル分け不可能」と言えば聞こえばいいが、少なくとも新人アーティストにとっては「何者でもない」ことと同義だ

p122

宇多田ヒカルのホームページには膨大な数のアクセスが殺到した。インターネット上に書き込んだ一言一言を、メディアがニュースとして二次利用してさらに広めていくという、今ではすっかり日常となっている情報の流れ方を生み出したのもアーティストでは宇多田ヒカルが最初だった(スポーツ界では中田英寿がやっていた)

これらの一連の宇多田ヒカルに関する記述を俯瞰してみると、とにかく自分のスタンスに正直だったことが伺えます。途中の「ジャンル分け不可能」の件は、アメリカでUtada名義でデビューして失敗した時の話なので、少し特殊ですが、この時は「なんでアメリカではだめだったの?」と首を傾げていましたが、納得しました。アメリカは音楽カテゴリーがかなり多様で、どれかはっきりとしたジャンル設定をしないと日の目を見ない。逆に確か元KATUNの赤西仁がアメリカデビューしたとき、聞きなれないジャンルでしたが1位獲得!みたいなニュースがあったような。
news.livedoor.com
彼は、マイナーなダンスチャートで1位を獲得したようですね。でも1位は素晴らしいことです。蓮舫さんも納得するかも。


椎名林檎の逆襲

無罪モラトリアム

無罪モラトリアム

もうこのアルバムは通算何回聞いていることか。登下校のとき毎日聞いてた。


椎名林檎さんの章は、かなり食いついて読み込みましたが、ここでレビューしようとなるとすべてを書き残したくなる気持ちです。だからあえて引っかかった言葉だけにしておきます。

税務システム上、音楽を作り続けないといけない

p132

やっぱりコンスタントに作品をリリースし続けないと、単純に暮らしていけないから

なんか林檎さんっぽい発言です。昔からコンサートやらバンド構成やらもいろいろチャレンジしているので、そらお金はかかる方なのだろうと思っていましたから。


最も天才なのはaikoなのかもしれない

夏服

夏服

aikoさんは確かにいい曲多いんですけど、椎名林檎にどハマりしていたので全然聞いていませんでしたね。青春の曲が多いのは充分知ってます。

p158~
ファンではなかっただけに、aikoさんのデビューの流れなんて全く知りませんでしたので、私なりに端折ってまとめてみました。

関西の人気ラジオDJ→ヤマハのコンテストで椎名林檎と決勝で戦う→ヤマハ専属の音楽活動開始→ヤマハ縛りがきつく自分好みの音楽作れない→1年後に別のつながりで自由を獲得→aikoらしい音楽活動開始→現在まで継続中

こんな感じでしょうか?ここは宇多田ヒカル椎名林檎と同様に自分のスタイルを貫けるように環境を整えていることが印象的です。これはビジネスシーンでも同様でしょうね。

浜崎あゆみは負けない

A BEST

A BEST


・・・当時から、ほっとんど聞いてません。興味なかったですね。でも、この本の中で上記三名と並列されると興味が湧いてきました。しかも最近では、宇多田ヒカルのトリビュートにも参加していて、「なんで浜崎あゆみが??」と思っていたのでその謎が解明されました。



この中で、浜崎あゆみは「Movin' on without you」を歌っているわけだが、これがとても秀逸な仕上がりだったのだ。世間的にもどうやら高評価だったらしい。個人的には、宇多田ヒカルの曲が完全に浜崎あゆみに上書きされた感じで、浜崎あゆみの意地みたいなものがビシビシ伝わってきた感じがした。(あとラブサイケデリコの光も最高でした。)
なにやら、過去に宇多田ヒカル浜崎あゆみのアルバム争いがあったらしく、その辺りも効いているでしょうね。なんだか、大手企業(大手レコード会社・エイベックス)に所属する一流社員(浜崎あゆみ)と、家族経営(宇多田家・U3レコード)の中小企業に所属する世界に引けを取らない腕利きの職人(宇多田ヒカル)が、昔は喧嘩していたけど、今となっては良き戦友だね♪みたいな、下町ロケット的な勝手な思いを馳せた次第です。

さいごに

 この本を手に取ったきっかけは、やはりタイトルがキャッチーであることには違いないが、読んでよかったと思ってます。音楽業界の特殊性も知ることができたし、芸能界という大きな世界に飲まれつつ、飲まれないように生きて行くアーティストや音楽家たちの苦悩も垣間見えた。宇多田ヒカル椎名林檎aikoの三人は、自らの才能や努力を糧に、自らが輝くための道を苦悩しながら切り開き、今でも貫いていることが、未だに活躍できる秘訣なのだろうと感じます。一方で、浜崎あゆみは大きい企業に属しているからこその喜びと苦悩を前面に感じつつ、そこに甘んじることなくストイックに自分を磨き上げていることは察することができますね。
 
 このあたりを、ビジネスシーンや研究の世界に照らしてみると、ほとんどが共通しているように思えます。会社員であれば、長いものに巻かれろで生き延びることはできるかもしれないけど、いつかボロがでるし、何より自分をどこまで偽れるかとの戦いです。研究においても、自分がやりたいことがあったとしても、それをいかにしてやれる土壌を作るか、環境を整えるかが最大の鍵になってきます。そこで、この4人の音楽家から学べることは、最後は自分に正直でいること、謙虚でいること、失敗から学ぶことなどでしょう。これらの事柄は、多くのビジネス専門書で語られていることに共通のことではないかと思います。
 
 音楽家であろうが、芸術家だろうが、起業家だろうが、きっと成功する人や生きがいをもって人生を歩んでいる人には普遍的なものはこうゆうことなのではないか、とか思ったりします。


なんだか、宇多田ヒカル以外の人のレビューがそっけなくて残念ですけど、正直力尽きました。今後レビューの効率的な仕方も模索したいですね。

では。